25年目からの4年間
ひとこと
平成 3年 3月 6日 東京技術開発センタ 交換システム開発担当の主査として転勤
東京技術開発センタ (その1)【平成3年3月〜平成7年3月】
湾岸戦争の終結直後に着任しました。場所はJR田端駅から歩いて10分程の尾久橋通りと明治通りの交差点に近い田端電話局の隣のビルです。
業務は交換機の遠隔制御と監視に関係するシステムの開発
で、色々なシステムがあり大変面白い職場であることが分りました。
【解説1】
はじめに東京技術開発センタの役割を説明しますと、以下のようになります。
電話局には古い交換機が多く、それらの保守運用や運転管理等はその局舎にいる人間が行うように作られています。そのため、電話局には人員がたくさん必要でした。
やがてNTTが発足し更に他の第一種通信事業者が参入し始めると競争も激しくなり、今まで通りの人員のままで経営を遂行していく訳にはいかなくなりました。人員を減らさなければ生き残れなくなりました。
電話局の人員を減らして、更に業務を効率よく進めるためのシステム開発が東京技術開発センタの役割でした。
その中において交換システム開発担当は人員削減のため電話局の無人化を目指して、古い交換機を初めとする様々な機器、装置に機能付加(ツール化)して、遠隔制御化と自動化の推進を担って参りました。
交換システム担当は、約30名が3〜4グループに分かれて主査がグループのリーダとなってまとめ役を行い、システム開発又は開発済システムの維持管理を行っていました。
私も主査として約10名のメンバーのまとめ役と、システム開発のSE業務を行ってきました。
しかし、振り返ってみると、自分は開発の依頼側と開発担当者の狭間に入り右往左往して悩むことが多く、SE業務には向いていなかったと言うのが、今の心境です。
優秀な開発者に対するSE業務は楽ですが、そうではないSE業務は地獄の苦しみでした。今振り返ってみると、とにかく「自分で開発したかった」のが実感です。
最初に対応したのは
、「自動利用停止解除システム(
*
アセス
)」の開発と導入でした。
東京支社のサービス推進部(細金課長)からの依頼を受けて開発が行われていましたが、私が着任したときには開発が予定より少し遅れていたため、開発担当者は泊まり込みの突貫工事で開発を進めておりました。私には何も協力することが出来ませんでしたので、少々心苦しかった感がありますが、担当者の責任感と努力により無事予定通り導入することが出来ました。
*
「
アセス
」は電話料金未納のお客様の通話を停止したり、停止を解除するシステムです。従来までは交換機のタイプライタから1件ずつ手作業で通話停止、解除を行っていましたが、本システムの導入によりオンラインの料金未納情報に基づいて通話を自動停止/解除することが出来るようになりました。電話局の料金担当からは大変な評価を得ていました。
アセス
の運用開始日がちょうど桜のお花見に当たり、お花見に参加した前田君の喜びはひとしおだったようでした。
【解説2】
古い交換機を遠隔制御させるための方法を説明します。
古い交換機に接続されているタイプライタに分岐接続用の
タイプアダプタ(アダプタ装置)
を取り付けて、交換機−タイプライタ−
タイプアダプタ
−モデム〜電話回線〜モデム−パソコンと接続してやると、遠隔からパソコンを使ってタイプライタにコマンドを投入することができます。このように
タイプアダプタ装置
をパソコン通信として接続すると、遠隔から交換機にコマンドを投入することができます。
このパソコン通信に当たる「タイプライターPC処理システム」別名
シスターズ
と言うシステムのバージョンアップが
その次の私の仕事
でした。
当時、
シスターズ
に動作不安定等の問題が多発していて、支店から改善要望が多く寄せられたため
シスターズ
の改良を図ることとなりました。しかし、改良シスターズはなかなか安定した動作をしてくれませんでした。
一方、文京支店で独自に開発したBINASというシスターズ風のシステムは様々な機能を盛り込んで、支店用コックピットシステムの要として稼働しているのを見て、羨ましく思いました。
平成3年6月に
タイプアダプタ
の開発元である東北ソフトウェア生産センタが東北情報システムセンタに組織再編した直後、東北からタイプアダプタ用ソフトの維持管理を中止するとの通告が突然舞い込んできました。
翌月の平成3年7月11日 に東北情報システムセンタへ打ち合わせに出張することとなりました。鈴木部長と佐藤課長に私も同行しました。
打ち合わせの結果は、東北情報システムセンタがタイプアダプタ用ソフトを開示し、東京の維持管理体制が整うまで東北が技術協力することを条件に、東京で維持管理することが決まりました。
東北との合意に基づいて早速、平成4年3月に担当者2名がタイプアダプタの技術習得のため東北へ出張しました。
これにより本格的に東京でタイプアダプタ用ソフト(
*
Z80アセンブラ)の開発がスタートしました。
*
Z80アセンブラ言語は機械語に1対1に対応した最も初期の言語です。Z80はザイログ社が開発した8bitマイクロプロセッサ(マイコン)を指します。
【解説3】
タイプアダプタとUNIXワークステーションを組み合わせた交換機故障を遠隔監視する「
T−NOCS
」システムについて説明します。(T−NOCS=Tokyo−Network Operation Control System)
交換機が故障すると異常メッセージをタイプライタに表示します。この表示をタイプアダプタから電話回線を通じて故障監視センタに転送させれば一カ所で全国の交換機の監視を行うことが可能です。
「
T−NOCS
」は東京支社管内の交換機の重要故障について監視するシステムで、平成3年度からサービスが開始されました。なお、タイプライタには通常メッセージも表示されますが、タイプアダプタにフィルタ機能を持たせ、最重要メッセージのみモデムへ転送させるようにしています。
【解説4】
T−NOCSを利用した交換機のパッチ投入管理システムについて説明します。
交換プログラムにバグが発生すると当面は緊急パッチ又は仮パッチで対処します。T−NOCSを上手く使って、このパッチ投入の自動化を図りました。
平成4年4月 T−NOCSによるパッチ自動投入システムのデモのリハーサルを行いました。
上記デモ・リハーサル中に発生した問題は、@タイプアダプタが再送信を繰り返す、Aパッチデータの欠落、その他色々な問題が発生しましたが、交換機本体ソフトの変更も含めて、皆T-NOCSグループの有能若手メンバーの努力によって無事解決することができました。私は報告を受けることしかできませんでしたけども。
【解説5】
T−NOCS
は故障監視やパッチ投入管理だけにとどまらず、輻輳情報と規制情報の監視と収集、故障用予備装置のデータベース管理を行うことも出来るなど大変な優れものでした。
タイプアダプタの開発もNTTに多大な貢献を及ぼしましたが、タイプアダプタとUNIXワークステーションを組み合わせたことは、更に多大な貢献を及ぼしたと思います。
T−NOCS
は平成3年度業務改善の東京支社長表彰に選ばれました。私が着任して早々に推薦調書を作成し提出したのでよく覚えています。
前のアセスも優れものでした。平成4年度業務改善表彰の支社長表彰に選ばれました。アセスが東京以外の他支社に導入されていれば、間違いなく社長表彰に選ばれたと思うのですが。でも、大変すばらしいシステム開発に参加出来ただけでも私は幸せでした。
平成4年6月 「タイプライターPC処理システム(
シスターズ
)」のバージョンアップ版 「シスターズmkU」を池袋支店へ試行導入しました。池袋支店は東口から歩いて10分くらいにある東急ハンズ近くの電話局です。
なお、2年後の平成6年4月から更にバージョンアップを行い、システム名を「
ソアラ
」に改名して再度池袋支店へ導入しました。
「
ソアラ
」導入後、評判が良いため他の営業所からも導入依頼が来るようになりました。(多摩中支店、渋谷支店、大田支店、目黒支店、新宿支店、品川支店・・・14支店)
社内システムメインのサービス運用システムが開発され運用開始されると「
ソアラ
」は
*
コンビニ中継センタからの接続だけにしか利用されなくなるため、東京支社からもっと効率的に処理できる「多ユニット制御」について検討依頼されました。平成6年7月頃から 多ユニット制御について検討を開始しました。
*
コンビニエンス・ストアとNTT料金システムを仲介するためのシステムを「コンビニ中継センタ」と言います。この中継センター発足により、コンビニエンス・ストアからも通話料金の支払いができるようになりました。
この多ユニット制御方式の「
ソアラ
」は5年後に私自身が開発することとなりました。
平成4年5月 通話料金のコンビニエンスストアから支払いを可能とするサービス開始に伴い、シスターズにも機能追加が行われました。
翌年の平成5年5月 上記のサービスが運用開始され、夜間に利用停止中のお客様がコンビニで支払いをするとシスターズ経由で利用停止の解除処理が行われるようになりました。(昼間はメインシステムで解除)
シスターズの次に平成4年6月に今度は、 T−NOCSパッチ管理システムの総合試験のため、荏原ビルにて泊まり込みの夜間作業(17時〜6時迄)をおこないました。
同月、平成4年6月のある日 タイプアダプタ装置の製造メーカーである徳力精巧(株)の部長が挨拶に見えましたが、よく見たら私の元上司の石橋さんであることが分かりびっくりしました。(9年前のソフトウェア技術室時代の調査役です)
翌月、平成4年7月 アセスに用いたセキュリティー方式(呼び返しパスワード方式)の特許申請が受理されました。発明の代表者はアセスを開発した前田君です。
(余談です)
、平成4年9月10日、11日 HA(ヒューマン・アソシェーション)研修に参加し、マネジメントのあり方、話し合いの基本、インバスケット討議について学びました。
平成6年10月6日にも HA研修に参加し、3テーマを集団模擬演習(@集団作業場面、A対人場面、B個人場面) しました。
インバスケット討議(苦情を分類、重要度、全体に目を通す、関連性、緊急性、優先順位、お客様に迷惑をかけているものに対しては、謝る)も模擬演習しました。
暮れもおしせまった平成4年12月に ネットワークオペレーションセンタ用の広域集約ツールとして、1台のPCで2ユニットを制御する「エスコート」システムをネットワークオペレーションセンタと共同で開発することとなりました。
この「エスコート」は、保守体制を更に大胆にスリム化するための、NTT重要戦略ツールとして開発が決定されたものです。
この「エスコート」は、支店用コックピットシステムとして文京支店が独自に開発したBINASをベースにしたもので、開発者も文京支店からネットワークオペレーションセンタに転勤した、私と同年齢の廣瀬憲治さんです。
翌年平成5年12月に新たな組織「ネットワークマネジメントセンター」の発足に合わせて「エスコート」が開発を無事に完了して導入されました。
「エスコート」の開発中に、113センタとネットワークマネジメントセンター間に情報配信の必要性が分かったため、少し遅れて「113センタ用エスコート」を東京技術開発センタで開発して導入を果たしました。開発担当者は我が技開センタの大山君が担当しました。
「エスコート」はこの後、2ユニット制御から10ユニット制御までバージョンアップした他、驚くほどの成長発展を遂げて全国的に導入が図られました。
(余談です)
平成5年10月1日 交換担当の旅行会は「箱根レイクホテル」へ行きました。
どんちゃん騒ぎの宴会の翌日は、湯河原でミカン狩りをして帰りました。 懐かしい〜!
(´ェ`)
T−NOCSが収集する「輻輳情報と規制情報」のデータ形式が圧縮形式に変わるため、通ソ本(技術情報管理部)の安田技師から北海道TSCへ打診してもらうとともに圧縮アルゴリズムを入手させて頂きました。
そのお礼として、平成6年1月ネットワークマネジメントセンタの小池所長に同行して、通ソ本の技術情報管理部の 北岡課長と安田技師の所へ挨拶に行きました。
このとき、ネットワークマネジメントセンタの小池所長から、T−NOCSに使用しているワークステーションを SONYからSUNへハード更改したいとの打診があり、ワークステーションの更改について検討が開始されることとなりました。
(余談です)
平成6年4月 私は上野公園のお花見でカバンの盗難に遭ってしまいました。
その時の一番大きな損害は、ノートを無くしたことでした。電子手帳も取られましたが型式が古かったので256KBの最新型を購入する機会となり、かえって良かったくらいでした。
しかし、ノートには仕事上の重要なことがたくさん記入してあり、困ってしまいました。二度と盗難には遭うまいと心に誓いました。
なお、クリアファイルには住所〜電話番号が記入してあったので、翌日上野警察署から連絡があり、取り戻すことができました。拾ってくれた人には電話と手紙でお礼を伝えました。
良かったー!(=^・^=)
平成6年5月頃、電気通信研究所から転勤してきた小池さんによる「インターネットとマルチメディアの勉強会」に参加し、初めてインターネットを知りました。
NTTのホームページを閲覧した時は衝撃的でした。博物館の書籍を閲覧しているような気分になりました。
再び支店応援。
平成6年5月24日 京王プラザホテル斜前の西新宿営業所にて1日テレホンカード販売を行い、5万500円を売り上げました
更に、平成6年11月28日 大久保営業所にて1日テレホンカード販売を行い、4万円弱を売り上げました。
大久保ではお昼に近所の和食レストランで鉄火丼のランチを食べましたが、今でもそのお店があれば、もう一度そこで鉄火丼を食べてみたいです。
平成6年頃からソフトウェア開発規模の算出にファンクションポイント法を用いるようになりました。しかし、算出基準が明確なようで明確ではなかったため、算出者によりまちまちの開発規模が出されました。
平成6年7月〜8月 伝言板サービス交換機(音声蓄積装置)用エスコートの動作確認のため、武蔵野通研へ出張しました。
平成6年11月 交換機のヘルスチェックシステム構築の是非を検討した結果、導入効果が認められたため、平成7年2月に 設備サービス部より開発依頼を受けて開発しましたが、導入時に発生した問題の解決が出来ないため、ヘルスチェックシステムは日の目を見ることが出来ませんでした。(残念〜 (>_<) )
ヘルスチェックシステムは結局サービス提供されず、お蔵入りとなってしまいました。
平成6年12月12日
PHS
のサービス開始を目前にして、 サービスオーダ投入ツールの開発について東京支社「Pサービス推進プロジェクト」 から依頼があり打ち合わせを行いました(貝田課長、坂詰課長)。 しかし、開発は必要ないことが後で分かり開発依頼はキャンセルされました。 それまでに作成した開発会議付議資料等は無駄になってしまいました。
雑駁で申し訳ありませんが、以上で旧交換担当時代は終了です。この先は新しい技術開発センタ(その2)へ続きます。
当時のニュース
平成7年1月17日 阪神淡路大震災が発生しました。 初めは大した地震だとは思わず、出勤してから会社でニュースを見て唖然としてしまいました。
テレビの映像で見た時、あんなに破壊された都市は生まれて初めてで信じられない気持ちでした。あまりにも衝撃的で大きなショックでした。
寸断された高速道路に落ちる寸前のバスが印象的でした。毎日乗っている高架式の鉄道すら怖くなってしまいました。
早速、量販店へ行き大型の給水用ポリタンクと燃料用の木炭を購入するなど、自宅の防災対策を講じました。
札幌出張の思い出
平成7年3月 堺所長、陸上競技部の菅谷さん、交換担当の渡辺さんと札幌へ出張に行きました。
所長の出張目的は、企画推進担当にいた坂さんが急に亡くなり、その奥さんが札幌出身で札幌への転勤希望が叶い、所長が転勤先の上司へ挨拶に行くためでした。
交換担当では丁度その時、T−SWによるツール開発の事前調査のために札幌出張を計画していましたが、時期が重なり私たちと一緒に出張することになりました。
札幌へ到着後、設備サービス部大溝主査の案内によりT−SWを利用した119自動試験システムと、コックピットシステム等について見学しました。
大雪の中、北海道の陸上競技部から接待を受け、二次会のスナックで所長は井上陽水の「新しいラプソディー」を唄いました。意外とナウイなーと思いました。私は、尾崎豊「OH MY LITTLE GIRL」を唄いました。すすきのラーメン横町(三次会)でラーメンを食べて解散しました。
当時のニュース
平成7年3月20日 地下鉄サリン事件が発生。 出勤直後の会社のテレビでみた最初の映像が一番のショックでした。
最初のニュース見たときは訳が分らなかったけど、信じられないことが続けて起きてしまったと言う感じでした。
次ページに続きます
ひとこと
「25年目からの4年間」
です